診断がつけば家族の介護が動き出す

介護体験談

高齢になっても新しい病院にひとりで通院できた

「物忘れ(認知症)外来の受診を嫌がる家族と病院に行くまで」のつづきをお話します。

祖母がようやく病院に行く気になってくれたので、物忘れや認知症かも?と不安になった人や、高齢者の方全般を診てもらえる診療科にかかろうと、急いでお休みをいただき、桜丘医療大学病院へ行くことにしました。

彼女はとても元気な人で、風邪から肺炎になって自宅近くの総合病院に入院した時でも、お医者様からいわれた予定よりずっと早く退院してしまうような人でした。

こんな風に、もとが元気ですし、出産でさえも自宅にお産婆さんが来た時代の人なので、大きな病院へはほとんど行った事がありませんでした。

ですから祖母にとって桜丘医療大学病院は、はじめて行く病院で、そこは縦横無尽に人が行き交うターミナル駅から歩いて10分ほどの距離にありました。また、その桜丘駅の乗降者数はとても多く、オフィスビルもたくさんあるので、慣れている人でさえ駅から病院へ抜ける道をまっすぐ歩くのはとても大変です。

私たちが病院に着いて、ようやく順番が回ってくると、その日は問診のほかに、認知機能をはかるテストなどを受けました。

先生は、こちらの診療科で診られる対象年齢が決まっていること、祖母はちょうどその歳になっていたので診ていただけるということに加え、この病は20年ほど前からゆっくりと進行するもので、決定的な治療薬はまだないという、残念な現実を教えてくださいました。

待合室付近には新薬の治験参加者を募る掲示物も貼ってあって、病院でそれを見るたび「早く画期的なお薬が出来ればいいのに」と祈る様な気持ちになったことを今でも思い出します。

それから何回か、大好きなおばあちゃんの通院に付き添いましたが、わたしが支度に手間取ってしまった日が一度だけあって、そのとき彼女は診察時間に遅れてはいけないと、孫は待たずに出発し、ひとりでさっさと電車に乗って行ってしまいました。

わたしが後から慌てて家を出て、病院に着いた時には、待合室で順番を待っている祖母の姿がありました。

それを見て、大学病院の場所も診察室の位置もしっかりと記憶していて、受付もひとりで問題なく済ませられる祖母に安心し、それに、一緒に行ったところで診察室の中に一緒に入って何か特別に話す訳でもないと気づき、その後は彼女ひとりで通院を続けました。

ケアマネージャーさんとつくる介護サービスのかたち

最初は祖母の様子がおかしいといくら話しても信用していなかった母も、「おばあちゃんが、やかんを火にかけたまま出掛けていた」という事や、病院でアルツハイマーといわれたという報告を聞くと、大急ぎで彼女を自分の家に呼び寄せ、介護をはじめました。

おばあちゃんのお世話は、そこから先は、実の娘である母がバトンタッチしてくれる事になったので、わたしは急にやる事がなくなりました。

そこから先はどのようにしたのか、詳しい事はわかりませんが、しっかり者の母の事なので、役所を通してケアマネージャーさんについてもらったようでした。

ケアマネージャーさんが決まったら、後はその方がいろいろな手配をして下さいました。

ヘルパーさんとの相性は合わなかったようで...

母は仕事を持っていたので、ケアマネージャーの藤田さんと相談して、祖母の服薬や食事の支度をしてくださるヘルパーさんに来ていただく事にしたようです。

ヘルパーさんとは、実家に帰った時にいちどお会いしましたが、白髪で小柄で、年配のやさしそうな女性でした。

サービスの利用はその時が2~3回目だったようです。祖母とヘルパーさんと二人きりの事が多かったので、実際にはどのような雰囲気だったのかはわかりません。ですが、あんなに誰とでも、にこやかに接する性格の祖母が、ヘルパーさんが帰ると必ず機嫌を損ねていました。

なにが不満だったのか本当のことはわかりませんが、とにかくヘルパーさんは、もう断って欲しいとわたしに訴えるので、どうして?と聞くと、祖母は自分の事はすっかり棚にあげ、「あんな年寄りはイヤだ。もっと明るい、若い人ならいいけど」というのでした。

私たちはケアマネの藤田さんに、正直に「どうもヘルパーさんとの相性が合わないみたい」と伝え、「若い人がいい」といってるのですが、ヘルパーさんにお若い方はいらっしゃるのでしょうか?と聞きましたら、時代的にもヘルパーさんは人生経験のある年配の方が多かったのか、それとも人手が足りていなかったのか、在宅サービスは諦める事になりました。

それからというもの、母は仕事の合間を縫って家事をこなし、祖母を含む同居家族の三食を作る生活を続けました。

デイサービス拒否はあったのか

ヘルパーさんをあきらめた後、母とケアマネさんが話し合ったのだと思いますが、祖母はデイサービスに通い始めました。


もともと人と集まるのもイベント事も大好きだった祖母は、送迎バスに乗って定期的にデイに通うようになりました。

しかも、祖母が存命中は、実家の転居に伴い、結果的に二か所のデイサービスに通うことになりました。

その間、同じケアマネジャーさんに担当していただきました。また、祖母がデイサービスを利用している様子を見学させてもらう機会があり、さらにデイサービスのイベントにも招待していただき、何度か参加することができました。

おばあちゃんは、最初に通っていたデイサービスでも、そこそこ楽しんでいましたが、二か所目のデイサービスの方が、さらに楽しそうでした。

デイサービスが楽しい理由

人との交流が大好きだった祖母は、今風にいえば「パリピ」だったのかもしれません。そんな彼女はデイサービスをとても楽しみにしており、特に他者との交流を何よりの楽しみとしていました。

デイサービスでは、利用者同士がプライベートな話題を交わすこともあり、家が近い人や体調を気にかけ合うような関係性が自然に生まれていました。祖母も、「よく話すお婆さんが体調を崩してお休みしていて寂しい」と、デイから帰ってくると話してくれたものです。

さらに、施設で知り合った近隣に住む方とは、利用日以外には公園で待ち合わせをして、一緒に長時間おしゃべりを楽しむほど親しくなりました。

一方で、性格は親子でも大きく異なるようです。母も現在介護サービスを利用していますが、祖母とは違い、デイサービスには頑なに行きたがりません。同じサービスでも、人それぞれ感じ方や受け入れ方が違うことを実感しています。

当サイト「ちょっと楽になる介護奮闘記」は、実話をもとに書いていますが、登場する人物名や団体名、場所に関してはすべて仮名を使用しています。また、駅名や病院名も実際の名称ではなく変更しています。

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