きれい好きだった親の部屋が物だらけで驚く
実家に戻り母と同居をはじめたのは、新型コロナが「第5波」に入り、オリンピックの開催是非で日本中が連日、大騒ぎになっていた頃でした。
家族親戚や友人間の往来が少なくなり、気分が塞ぎこんでいるのか、不安になるようなテレビのニュースの見過ぎなのかはわかりませんが、実家は、以前の、整理整頓が日課だった母からは考えられないほど物で溢れていました。
そんな母と同居していると、頻繁に、身体のどこかが痛いと、不調を訴えられるようになりました。
お薬が重複していて悩む
それでも見た目には元気で、特に悪い所もなさそうに過ごしていましたし、本人も、
「病院では、特にこれといって原因となるものはないといわれてる」
というのですが、唐突に身体のどこかしらを痛がるので、薬をちゃんと飲んでいるのかしらと不思議に思い、ある日、貰って来た薬を探していると、数週間の間に複数の診療所へ行っては、お薬をもらって来ていることがわかりました。
母と離れて暮らしていた数年間は、テレビ電話での連絡が中心でした。
ときどき、以前にはなかった気分の浮き沈みに違和感は感じましたが、それでも、基本的には元気そうでした。
それが、まさかこんなにたくさんの薬を服用しているとは、思いもしませんでした。
大量のお薬に驚きつつも、よく見ると、頭痛や筋肉痛などの痛み止めとして、自分でも飲んだことのある、カロナール(アセトアミノフェン)とロキソニン(ロキソプロフェンナトリウム)が二か所の診療所から出ていました。
他にもダブリがあるのでは?と思ったので、書類や化粧品、筆記用具などの物の山から薬袋をいくつか取り出して、直近のものだけを机に並べてから、ひとつひとつ、インターネット検索でその作用と、どんな症状の時に処方されるのかを調べ、メモにまとめて行きました。
ですが結局、作用はなんとなくわかっても、どこが具合が悪くて出されたのか、どれを飲んで、どれを服用中止するのかまでは、医療従事者でもない素人にはわかりませんでした。
同じ症状に用いられるお薬でも、成分によって作用がそれぞれ少しずつ異なることもあるようで、どちらの診療所に確認しようかと悩んだ末に、母がお薬を受け取った近所の青空薬局に電話をし、薬剤師さんに相談する事にしました。
認知症と認めたくない気持ち
薬剤師さんからは長澤医院の鎮痛剤の「服用中止」をすすめられましたが、
母がお薬手帳を持参していなかったので、他でお薬が出ていることに気づく事ができなかったし、同じことを何度もいってきたりして、様子が少しおかしいから、「認知症なんじゃないか?」と指摘されました。
実は10年ほど前に他界した認知症の祖母の違和感に、最初に気づいたのは私でした。
そして、自分が認知症であると認めたくない祖母を説得し、一緒に病院に行ったのも私でした。
テレビ電話越しに、母も、もしかしたらそうなんじゃないかと、そんな予感はしていました。
だけど、まだその事実をきちんと受け入れられていない時期だったので、薬剤師さんからいわれた言葉も良い気持ちがしなくて、「そんなことないですよ。ただ最近、ちょっと忘れっぽいだけですよ」と返してしまいました。
親の物を勝手に整理して怒られる
薬剤師さんから、飲まなくてもいいお薬を教えてもらったので、「この辺に林医院でいただいたお薬と、長澤医院でもらったお薬があったから整理して、まとめておいたよ。お薬はここから出してね。」というと、「どこにあるかわかっているのに、勝手に触られたらわからなくなる!」と、母からひどく怒られました。
それで、こうなった状況を聞いてもらおうと、
「林医院のお薬も、長澤医院のお薬も、どちらも飲み切ってないし、同じような痛み止めがダブって出ていたから、こっちのお薬だけ飲んでね。
診療所二つも通ってるの?同じお薬出ると困るから、お薬手帳持って行った方がいいんじゃない?」というと、
林医院へ行ったことは全く覚えていなくて、
「具合が悪くて歩くのも辛かったから、いちばん近くの長澤医院へ行ったのよ」と、まだ不機嫌なままいわれました。
二か所からお薬をもらっている事を自覚していないなんて、これはちょっと厄介だな、と思いました。
そして母にはお薬の飲み合わせもあるし、きちんと守らないと身体にも良くないので、
・診療所に行くならお薬手帳を持って行って欲しい
・出来れば林医院か、長澤医院か、どちらかひとつに決めて行って欲しい
とお願いしたのですが、それでも無自覚のまま、しばらくは両方の診療所に通う、ドクターショッピング(はしご受診)がつづきました。
この問題をどのように解決していったのかについては、次の記事に続きます。
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